姉妹都市盟約50周年記念事業 小杉放菴展
江戸時代、東照宮の防火と警備の活動をするために、八王子から日光まで出向していた千人同心の縁で、姉妹都市となった八王子市と日光市。姉妹都市盟約締結50周年を機に、日光市出身の画家・小杉放菴の作品を所蔵する「小杉放菴記念日光美術館」から「八王子市夢美術館」へ多数の作品がやってきます。近代西洋画や日本画など幅広い分野で活躍した同画伯について、小杉放菴記念日光美術館学芸員の迫内祐司さんにお話を伺うため、八王子市夢美術館の川俣館長とラ♪ラ♪ラMAGAZINE編集部が、日光まで行ってきました!
小杉放菴記念日光美術館
日光市に文化施設の設立を望む市民の声から、1997年10月8日に開館した市立美術館。「公益財団法人 小杉放菴記念日光美術館」の管理運営のもと、日光出身の画家、遺族から譲り受けた小杉放菴のデッサン1200点ほか作品を所蔵。「自然へのいつくしみ」を基本テーマに、日本の近代美術史上における広範な影響関係を紹介している。
小杉放菴記念日光美術館 学芸員 迫内祐司さん
北九州市出身。宇都宮市の文星芸術大学へ油彩画専攻として入学後、大学3年の時に興味を引かれた美学美術史専攻へ転科する。2008年から小杉放菴記念日光美術館で学芸員を勤め、小杉放菴を中心に日本近代美術を研究。大学時代、八王子に住む友人宅を訪ねる際に八王子市夢美術館へ訪れた経験も。
自然豊かな日光で生まれ、絵で人生を切り拓く
―小杉放菴の生い立ちを教えてください。
7人兄弟の4男として、日光の山内で生まれました。12歳の時に地元の日光で活躍していた水彩画家、五百城文哉に絵を習い始め、中学を1年で退学し14歳のとき住み込みで弟子入り。18歳で上京してからは、画塾「不同舎」の小山正太郎の元で絵を学びました。
23歳の時に推薦を受け、近事画報社の特派員として朝鮮に派遣されます。日露戦争が始まると、記者として従軍し戦地の状況を報道。戦いの最前線ではなかったものの、戦争の陰惨さや不条理を体験し、命について深く考えるようになったようです。そのときに感じた戦争へのやるせない思いを、初の著書となる詩集『陣中詩篇』に残しています。
小杉放菴
現在の日光市に生まれる。はじめ五百城文哉に洋画を学び、小山正太郎主宰の不同舎に入門して未醒と号する。横山大観らと日本美術院(院展)を再興、洋画部を牽引するが後に春陽会を結成し放庵(放菴)と号する。近代洋画の大家として名を遺すが、その生涯には数多くの日本画を描いた。日本芸術院会員。日光市名誉市民。