財団が主催する公演で初企画となる、女性演芸家にスポットを当てた『如月演芸祭』。落語・浪曲・漫談と、多彩なジャンルの6人の芸を一度に楽しめる贅沢な演芸祭です。今回は、出演される落語家・立川小春志さん、浪曲師・玉川奈々福さんにお話をお伺いしました。
落語家 立川小春志さん
— 女性落語家が希少だった時代に落語と出会って入門を決意
ありがたいことに、この数年で落語ブームが起きて興味を持って下さる方が増えていますが、私が落語家を志した頃は女性落語家はまだ珍しかったです。
落語に出会ったのは、大学在学中です。なんとなく入った落語研究会で、CDやカセットテープで落語を聴いたり演芸場に通ったりして聴き続けているうちに、最初はよくわからなかったのが、だんだん理解できるようになってきたんです。わずか20分とか30分の噺で人情ドラマが見え、江戸の世界が頭に浮かぶ。「こんなに想像を広げられるのはすごい!」とのめり込んでいきました。
女性が落語をやるということに否定的な時代だったのですが、どうしても自分で落語をやってみたくなって、思いきって大学院を中退して師匠の立川談春に弟子入りしました。いざプロとしての修行が始まってからは大変でしたが、6年半の前座修行を経て二ツ目に昇進。二ツ目は、自分の名前を広めて集客し落語に集中できるという、勢いをつけて仕事ができる期間です。テレビの落語番組やドキュメンタリーに出させてもらったり、テレビアニメの声優に挑戦したり、たくさんの縁が繋がった11年間でした。
2023年に真打になりましたが、達成感というより「ここからだ」という思いが強いですね。真打でも1年目と変わらず学ぶことが多いですが、落語が好きなので飽きません。ネタは120本ほど回していますが、もっとレパートリーを増やしたいと思っています。古典落語は全部で500本は存在すると言われていますが、現代では通用しない噺を除くと実際に使われているのは200本ほどでしょうか。幸い、立川談志師匠(談春師匠の師匠)の音源が多く残っているので、学べることはまだまだあります。
5代目の柳家小さん師匠が、芸事を「守破離(しゅはり)」という言葉で表しています。まずは師匠から受け継いだままを再演する「守る」ですが、自分では気付かないうちに体得しているもののようです。引き継いでいく芸なので、お客さんから「猫背の具合とか、前かがみの手の使い方で師匠が見えた」と言われると嬉しいですね。そして次に、だんだん自分の色が出ていって「破る」、最後は独立して「離れる」です。師匠との違いもまた、周りやお客様が気づきます。私は師匠と性別が違うので、骨格も声のトーンも違います。それが複合的に自分の個性になっていると思いますが、女性落語家が古典落語を演じる場合、男性の役がそれらしく見えづらいという悩みがあります。私は芸歴を重ねたことで、ご隠居さんも侍の役も違和感がないと言っていただけるようになってきました。また、これまでの仕事やプライベートでの多くの出会いから、役の心情への理解が深まり、演じられるキャラクターの幅が広がってきました。日常のひとつひとつが、芸に繋がっていると感じますね。
落語家は長く一つの噺に取り組むものですから、演出の仕方や人間の深みが芸に反映します。正直に言えば修行18年目でやっとできるようになってきたと実感しているので、真打とはいえ、まだ芸の入り口です。談春師匠は芸歴40周年ですし、芸歴50年、70年という師匠方がたくさんおられる世界で比べると私はたったの芸歴18年。私もあと40年はやっていかなきゃいけないってことですから(笑)。
— 愛すべき人たちが生き生きと動く、時を超える落語の魅力
落語に登場するのは、みんなの期待に応えて悪を裁いてくれるヒーローではないんです。談志師匠が端的に表した「業の肯定」という言葉があります。人は根本的に欲を出すし、何もしたくないとか、みんなに注目されたい、認められたいと思っているんですよ。噺の中では、その思いを持った人たちを肯定して、彼らが生き生きと動く世界を演じています。ちょっとルーズだったり強がっていたり、おっちょこちょいだったりして、私たち落語家は、愛すべき人たちと呼んでいます。
現代社会では、世間に合わせておとなしくしときなさいとか、足並み揃えなさいとか、嫌われないようにと言いがちですが、その生き方だけが正解というわけではないはずです。200年前から「うちの人、全く何もしないのよ」とおかみさんが嘆いていたり、賭け事やお酒好きの亭主がいたり、世間知らずの若旦那がビッグになりたいと息巻いていたりするのを聞くと、今と昔と、人間はそう変わらないんだって気が楽になりますよね。良し悪しという先入観やしがらみを外して、江戸時代と喜怒哀楽を共感できるのが落語のいいところです。
— 演者と観客、双方から落語を楽しむアプローチを
落語や演芸は、「舞台に落語家を呼んでいるから、あとはどうぞ自由に楽しんで」というわけにはいきません。お互いの共同作業で空間を作り上げることが大切だと思っています。お客さんの想像力を刺激して集中させるまでの過程は受付から始まっています。座布団や照明、マイクチェック、出囃子の音、客席の椅子の置き方や空調などを整えて、双方が集中して同じ世界を思い浮かべてこそ、感動を共有するという経験ができます。環境を整えても、いよいよクライマックス!という瞬間に、携帯電話の音が一つ挟まるだけで、想像の江戸の世界がスンっと消えて現実に引き戻されてしまいます。なので、噺を始める前におしゃべりは止めてもらって、携帯電話は鳴らさないでくださいねと伝えています(笑)。
真打になってから呼ばれる仕事では、最終的に若手の後ろでどっしり構えてお客さんを満足させる責任を感じています。作品を鑑賞するのとは違って落語は生ものですから、当日の観客を見て、最後にどういう空気でまとめあげるかの能力が問われます。落語を聞いて心に響くとか、今と昔と人間って変わらないという根幹の部分をちゃんと伝えたいと思っているので、その時々のお客さんの反応によってネタのセレクションを変えます。「『笑点』は知ってるけど落語は知らない」層の人が多かったら、初心者にも笑ってもらえるネタを、「いつも落語会を楽しみにしてる」という熱意の高いお客さんが集まっていたら、「よし、立川流の師匠から繋がる大事な噺をしよう」と、お客さんを見て演目を決めています。
演じているときは、お客さんの反応でこちらの出来も変わるんですよ。やはりお客さんには、ちゃんと笑い声で参加していただけたらと思っています。お互いの空間に自分を置いて、掛け合いで落語を作り上げていくんです。登場するときの拍手「迎え手(むかえで)」より、退場するときの拍手「送り手(おくりで)」の方が大きいのが、我々芸人にとっては1番の光栄なことです。公演はライブと思って、お客さんにはぜひ、どんどん笑い声や拍手で参加してもらえたら嬉しいですね。
落語を初めて聴く方は、難しそうとか、誰を見ればいいのか、内容がわからなかったらどうしようかと不安に思っている方が多い気がします。ですが、席料とカジュアルな服装で大丈夫なので、気軽に足を運んでもらいたいです。「如月演芸祭」に関しても、ぜひ気負わずにいらしてください。十人十色の旬の話芸を楽しめる、またとない機会です。私も落語の真打として、お客さんには満足して帰っていただきたいと思っています。一緒にライブ感を楽しみましょう!
浪曲師 玉川奈々福さん
— 気軽にはじめた三味線の音色に誘われ、浪曲の道を30年
浪曲というのは、浪曲をうなる浪曲師と、三味線を弾く三味線曲師、2人で成り立つ芸能です。
私は出版社に在職中の20代のとき、自分の感性を磨きたいと思って三味線を習いはじめたのですが、そこで聴いた師匠の三味線の音が、とてもきれいなキラキラした音だったのに感動したんです。その音を聞き続けたいがために教室通いを続けていたのですが、その教室はやる気がありそうな若手をピックアップしてプロの世界に引っ張ろうというミッションが隠されていて、教室の講師だった先生に誘われて弟子入りし、その師匠に「三味線上達のためは一席浪曲うなってみろ!」と言われるままに浪曲を覚えて……気が付くと浪曲師として舞台に立っていました(笑)。当初は、会社員との二足のわらじでしたが。
浪曲の三味線には譜面がないんですよ。そのうえ、先生の言うことや弾いてくれるお手本が感覚的で毎回変わるので、最初はついていくのがやっとでした。聴いて、音を取って覚えたつもりでも、「違う」と言われ、どこが違うかわからなくて、もう一度弾いてもらったら全然違う音が出てきたりして(笑)。
そのわからなさ加減にクラクラしつつも、全容の見えなさに「一体これはどういう芸なんだろう」と興味が途切れずに続けていたら、習い始めたときにはぜんぜん理解できなかったことが徐々にわかるようになってきたんですね。あとは、整えられた芸じゃないことも惹かれた理由かもしれません。譜面がないからこそ、その日その日で音や声の調子が変化します。同じ公演は二度となくて、浪曲と三味線とのセッション性で成り立っている、身体性の高い芸であることも浪曲の魅力です。
ここまで続けられたのは、師匠や女将さんの情が深く温かい人柄だったことに加えて、三味線の名人の沢村豊子師匠との出会いも大きかったです。その音色にぐいっと引っ張られるように、より稽古に励むようになり、会社を退職して浪曲師を専業として11年経ち、今に至ります。
— 浪曲という伝統文化を、新しい形で未来へ続けていく
現在浪曲師は全国で100人以下の絶滅危惧芸能です。でも、昔は大変人気があり全国で3000人もいた時代もあったので、音源が多く残されています。それを聞くと、一生かかったってこの芸や表現には追いつけないと感動するほど凄い浪曲師がたくさんいました。ある時、師匠たちはこんなにすごい芸を持っているのに、浪曲に人が集まらなくなってきているのは、やり方が古いからか、現代で浪曲という芸が通用しなくなったのか、と、単純な疑問を持ちました。
私が入った時期、浪曲の現場はプロデューサー的な人がほとんどおらず、定席の木馬亭(もくばてい。浅草にある浪曲の寄席)の公演以外は、浪曲師がほそぼそと自主公演を開いているだけの感じでした。木馬亭のロビーに、手書きの、情報もあまり豊かでないチラシがちらほら置いてある程度で、これではいくら素晴らしい芸でも集客に繋がらないよな~と思っていました。師匠に、「おまえがやってみろ!」と背中を押されたことをきっかけに、「自分が考える面白い浪曲会を作ってみよう」と思いたち、2004年に初プロデュースで『徹底天保水滸伝』というシリーズ公演を全五回で開催しました。まず、会のタイトルがキャッチーであること。演目、あらすじや演者のプロフィールを載せて、デザイナーさんにデザインを依頼、カラーで印刷し、カッコいいものを作りました。さらに、浪曲の応援団として知名度のある方をトークゲストにお招きしました。5回連続公演の企画でしたが、蓋を開けてみると毎回木馬亭にあふれんばかりのお客さんが押し寄せてくれました!それをきっかけに、浪曲が古いのではなくて、それまでのやり方に問題があったのだと気づき、浪曲の活動を広げていくことに確信が持てました。浪曲の芸は現代にも通じる、本質を変えなくても大丈夫だとわかったことで、やりたいと思った企画や新しいことにチャレンジしてみよう、と前向きに思えたのです。今では、私が主催している「ガチンコ浪曲講座」から、興味を持ってくれて入門した若手もいます。
浪曲をもっと広く知ってもらうために、ネットの情報をブログからホームページに移行したり、SNSも始めたりしました。また、コロナウィルスが流行したタイミングでYouTubeのチャンネルを立ち上げ、配信を始めました。外出自粛で舞台ができなくなると、浪曲をやる体力が落ちてしまうのではないか、これまでの取り組みが水の泡になってしまわないか不安がありました。私たちは公演を意識して練習し続けているからこそ声が出るし、台本を覚えます。自分だけでなく、浪曲の火を消さないように、とにかくやってみよう! ただ、浪曲はやはりライブ命の芸。声の圧が、配信では伝わりにくいのではないかという懸念もあり、音のクオリティにはこだわりました。また、自分だけではなく若手にも出てもらい、大先輩方も説得して出演していただきました。「タダでここまで芸を見せてよいのか」という戸惑いの声もありましたが、足が悪くなって家から出られなくなってしまったお客さんや、海外のお客さんから反響があったので、やって良かったと思っています。あとは、伝統芸能のアウトリーチの一環として学校公演に伺う際に、事前に授業でYouTubeチャンネルを見て予習してくれていたということもありました。
また、浪曲の可能性の追求という観点では、他ジャンルと積極的に交流を持つようにしています。浪曲の中だけに留まっているだけではわからなかったのですが、落語、歌舞伎、狂言、お能などとコラボレーションすることによって、浪曲に対する理解が深まり、自分の世界が広がっていくように感じています。
これまでの活動が、浪曲の認知度を少しでも上げることに繋がり、お客さんに知ってもらうきっかけになっていれば嬉しいですね。
— 多摩ニュータウンを舞台にした映画原作の新作浪曲『平成狸合戦ぽんぽこ』
浪曲には、古くからある「古典」と、作家や浪曲師が作る「新作」があり、私は新作づくりにも力を入れています。もちろん、古くから語り継がれてきた古典も大事ですが、今の時代を生きるお客さんや、私自身の心に響くような物語になるように意識しています。
『如月演芸祭』で披露する演目は、多摩ニュータウンが舞台の『平成狸合戦ぽんぽこ』。16年ほど前に、スタジオジブリの高畑勲監督作品を原作に私が作った新作浪曲です。台本は、住宅開発のために住処を追われるタヌキ側から人間を捉えた面白さや、タヌキのキャラクター性を大切にして作りました。二時間の映像作品を、40分くらいの浪曲に落とし込むのは大変でした。映像は情報量がとても多いですし、登場人物やストーリー展開を多少整理したりしました。いちばん大変だったのは、妖怪大作戦という、タヌキたちの術の場面。映像のある映画には敵うべくもないですが、お客さんの想像力を刺激して、それぞれの頭の中に映像を作り上げられればいいなと思っています。
公演では、物語の終盤に、ストーリー上なのか玉川奈々福としてなのか判然としない状態で、私がお客さんに直接話しかける部分があるので、ドキッとされると思います。そこで同じ空間を共有できれば嬉しいですね。
今勢いのある出演者が揃っている『如月演芸祭』ですが、その共通点は耳で聴く芸であることです。普段の生活では視覚が優位になりがちですが、会場では多様な物語、音、声を聴いてぜひ耳を喜ばせてください。私も、明日も頑張ろうと思える活力を皆様にお届けできたらいいなと思っています。
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