こんばんは。ずっと読み方を間違えていたまゆたそです。
この一週間、言葉が体に溜まりすぎて、どうやって外に出そうか、自分の中でどう言語化しようか踏ん切りがつかなくて、前回の更新から間が開いてしまいました。
またしても深夜ですがお付き合いくださいませ。
好きな言葉があります。
たしか中学〜高校1年生くらいの頃だったと思うのですが、学校でプログラミングの特別授業があり(夏休みの集中講義だったかも?)、その時の講師の方が話してくれた言葉です。
細かい内容は忘れてしまったのですが、
『今、世界は情報に溢れています。分からないことがあってもネットで調べればいいから、勉強なんてしなくていいと思うかもしれません。でもGoogleの、Yahoo!の検索エンジンの窓に言葉を入れて初めてインターネットは情報を教えてくれます。あなたは何の言葉を入れますか?』
概ねこのような内容だったと思います。半分くらい私の記憶違いでしょうけど、それでも、「検索エンジンの窓に何を入れるか」という言葉と、「知識を得るためには知識が必要なのだ」という気づきや実感のようなものが、フッと私の中に落ちてきたのを覚えています。
確かこういう、知識を生み出す知を「メタ知識」というのだと、上野千鶴子先生が東大の入学式で言っていました。(素晴らしい祝辞です)
ともかく私は、この話を聞いて以降、学校は基礎知識を得る場所なのだなと感じ…たかどうかは分かりませんが、ずっとこの言葉を心の片隅に置いておいたような気がするのです。
私、ずっと「急逝」の読み方を「きゅうい」だと思っていたんですけど、「きゅうせい」と読むのだということを最近知りました。漫画のセリフなどで「俺は先に逝くよ」とか、「いく」という読み方は知っていたので、ずっとそれで頭の中で変換してたみたいで。
私という人間のボキャブラリーの90%は、小学6年生までに読んだ本で形成されているといっても過言ではありません。本で覚えた新しい言葉を、周りの大人や友達に披露する楽しさといったら…今でも思い出すと死ぬほど恥ずかしいですが、わざと難しい背伸びした言葉を使うことで、自分は周りよりも賢いんだと、大人と同等なんだと思っていました。わざとひけらかしていたんですね。
低学年向けの本は本編全てにルビが振ってありますが、高学年になってくるとそうはいきません。新出単語・熟語のオンパレードです。ですがそこは物語小説。前後の文脈でなんとなく意味を察することができるので、いくつか言葉が分からなくても余り読書に影響はないんですね。だから上記の「急逝」も、「あ、逝くの“い”だから、きゅう“い”かな」と当てはめて読んでいたという訳です。「大胆」とかも読み方が分からなくて一時期「だいきも」「おおきも」とか読んでたな…。
で、本日の本題です。
最近、というか大学生になったくらいから、明らかに新しい知識の吸収速度が遅くなりました。
前は、それこそ小学生の頃は吸収したら即使えたんです。言葉も、知識も。こういうことかと世界が広がっていく驚きが常にあった。自分の中に積もっていく感覚がありました。でも最近は本を読んでも言葉が脳に染みてこない。残らずに消えていく。私が得た知識は、情報は蓄積されずにどこへ消えてしまうんだろう。私はアップデートされているのか、このままではいけないとなぜか焦りばかりが浮かびました。人として成長できていないのではないか、過去の私が積んだ貯金を使い切って、自分が出涸らしになったような感覚。
大学を卒業した今だからこそ、いかにあの場所が学びの場であったかをひしひしと痛感しております。外から課題を与えてくれるのが学校で、私はそれを受け取り、それについて考えれば良かった。考えるための材料も豊富にあった。
でも社会人となった今、私は自分で課題を見つけ、自分で受け取り、材料を揃え、考えなければならない。
あーあ、全然検索エンジン使えてないよ。自分自身の知識のなさに打ちのめされる毎日だよ。毎日を全力で楽しんでいたあの頃の自分が眩しい。もしかしてこれが「退化」ってやつでしょうか。今からそんなんでどうするのだまゆたそ!だとしたらこれに必死に抗うことが、生きるということかもしれないです。
この間、ゆうりさんと鮭スペアレのいつ鹿さんと、劇団・新制作座に行ってきたのですが、そこで出逢った方々のエネルギーの凄さたるや。本当に文字通りずっと演劇を続けている方たち。「演劇ネットワークぱちぱち」は演劇を続けるための方法を模索する場所です。ほんの数時間でしたが、沢山のものを貰いました。そして同時に生きてきた時代の違いを、思い知らされました。強烈な世代間ギャップ。
『言葉が弱いのは、”嘘”だから』
本当にそうですね。
でもどんなに絶望しても、私たちはこの国で生きていかねばならない。
私たちの言葉には力があります。
物語がどんなにフィクションだとしても、私が本を読み、知識を得たように。俳優たちはフィクションの中で真実を語ります。そして真実であれば、ちゃんと観客に届くのです。
私はその営みを、演劇を、信じているし信じたいです。
(やっぱり全然まとまらないですが終わります)
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