こんにちは!ぱちぱち運営メンバーのまゆたそ(齊藤舞夕)です。
2025年8月3日(日)、『令和7年度 公民館平和事業「市民による平和への祈り」』において、ぱちぱちフェローの堀慎太郎さん(26)が国策落語の『献金長屋』という作品を独り芝居として上演しました。
これは、今回の上演を通して私たちが何を考え、話し合ったのか、それを残すための創作レポートです。

「公民館平和事業」について
毎年8月に日野市で開催されている事業で、テーマは「平和と祈り」。毎年幅広い世代の市民が集まり、朗読や戦争体験談などを披露しています。今年はやなせたかしの絵本を題材にした朗読と演奏や、89歳の男性による1945年当時の戦争体験談の披露などが行われました。演劇ネットワークぱちぱちは2023年から参加しています。
今年も日野市から出演のお声掛けをいただき、2023年から連続してこの事業に参加しているぱちぱちフェローの堀慎太郎さんが出演することになりました。上演作品として選ばれたのは、柳家金語楼(やなぎやきんごろう)が書いた国策落語『献金長屋』。
国策落語とは、戦争遂行という国策に沿って、国民の戦意高揚などを目的に創られた落語のことです。
日時
2025年8月3日(日)13:00〜15:30
会場
多摩平交流センター3階(入場無料)

稽古の様子
今回上演する『献金長屋』は落語、つまり1人で何人もの登場人物を演じ分けなくてはなりません。しかし1人で稽古するには限界があります。方向性や演技について意見を言ってくれる人がいてほしいという堀さんの希望で、ぱちぱちの運営チームが稽古サポートという立場で稽古場に立ち合いました。
登場人物10人の演じ分け!
そもそもこの作品に登場人物は何人出てくるのか?というところから稽古はスタートしました。そして、登場人物のキャラクターを細かく演じ分けたらもっと面白くなる!ということで、まず、堀さんが出せる声や動作を書き出して、それらを各登場人物に振り分けていくという作業を行いました。これにより人物ごとに特徴が生まれ、話がグッと分かりやすくなりました。



こうしてでき上がったのが9人の登場人物です。本人も含めると1人で10役!身一つで演じたほうが面白いということで、小道具は扇子のみと決まりました。
短い稽古期間の中で、堀さんはとにかく何度も台詞を繰り返して身体に覚えさせる、運営チームは台詞や表現に間違いがあれば都度伝える、という作業をひたすら行いました。「今の台詞、相撲取りじゃなくて大家になってたよ」「そこは献金じゃなくて献納だよ」気が付けば、私たちも自然と台詞を覚えていました。
私たちがラストシーンから読み取ったこと
『献金長屋』は、「皇紀」「お国の為」「銃後の我々」など、戦時中を想起させる言葉が出てきますが、笑いどころが沢山あってとても面白い演目です。しかし、最初に聞いた時点では、オチがよく分かりませんでした。
そこで堀さんと私たち運営チームは、それぞれが感じている物語のオチについて意見を出し合いました。
その結果、当時の検閲の存在や国策落語としての立場上、おおっぴらに政府(大家側)を馬鹿にしたりすることはできなかっただろうということ。献金や献納をを推し進めたい内務省側と、人間の馬鹿馬鹿しさを描きたい金語楼側のギリギリのせめぎ合いがこのようなラストシーンとして残ったのではないかという話にまとまりました。残念ながら柳家金語楼が演じている動画や音声は残っていないので、上演された当時どのように演じていたのかは想像するしかないのですが、恐らく台本を先に提出した上で演じられており、当日も劇場内に警官が立っていたとするならば、台本上ではわざとボカしておいて、当日の状況によって演じ方を変えていたと考えることもできるのではないか。
以上のことを踏まえ、今回の上演では、酒に酔っていた呑んべえさんが正気になるという演出を加えることで、「そこまでやるのか…」という感心とも畏敬とも取れるような表現を目指しました。
オチについて以外にも、稽古場や本番直前までみんなで沢山の話をしました。話題は自然と80年前の第二次世界大戦のことや、原爆のこと、沖縄や、今も世界で続いている戦争について。また、それぞれが考える平和についてでした。今回の事業に関わっていなければできなかったと思いますし、「国策落語」という題材だからこそ、今まさに作品を生み出そうとしている自分たちとリンクして、よい空間が生まれたのではないかと思いました。
本番当日
当日は70人程のお客さんが見守る中、堀さんは20分間見事に演じきりました。登場人物が一人一人演説していくという演目の構造が当日の会場の構造に上手くハマり、見ている私たちも長屋の住人になったような気持ちになりました。



当日パンフレットの作成
この演目を選んだ理由や登場人物の紹介など、より深く作品を楽しんでもらうために、当日は堀さんが作成したパンフレットを来場者全員に配布しました。
『献金長屋』によせて
落語の面白味とは何かと考えたとき、ふと思い浮かぶのは登場人物の馬鹿馬鹿しさであろう。人の名づけをする際の余りにも長い名前を付けたり、生きている人間を死人だと勘違いしたり、お殿様からの伝言を忘れて大工の万力で尻をつねってもらったりと、大変に粗忽で愛すべき馬鹿者達である。
では国策落語はどうだろうか?もちろん面白い事には変わりない。創作・改変が行われた時節柄を考えると、こうなるだろうと納得も出来る。しかし、私はこの落語群を読み、実際に口に出して演じてみると、どこか歪さを感じてしまう。それは馬鹿馬鹿しさを制限された為ではないか。落語の馬鹿馬鹿しさとは日常を生きる人間達のものである。それが「戦争」という非日常に塗りつぶされた結果、作品の歪さに繋がったのではないだろうか。また作品が日常を生きる人間のものであるならば、作品が制限されるという事は、人間そのものの在り方が制限されるという事である。
これらの事から、今回の演目では国策落語の「面白味の中の歪さ」を感じて欲しいと思っている。
当日配布したリーフレットより引用
全文はこちらからお読みいただけます。是非ご覧ください。
上演を終えて
企画・出演者 堀慎太郎
夏が終わり秋の訪れを感じる今日、世界には未だ争いの火種が燻り続けています。大国では排外主義が根を伸ばし、中東や西の国では領土問題で今この間にも人が争い死んでいます。
どうして争いが絶えないのかという事を楽屋で話したのを覚えています。その話の中で印象に残っているのは「『欲しい』を止められない」という事です。「人よりも欲しい」「今よりも欲しい」これらが行き着く先は豊かさではなく荒野です。何故なら「欲しい」は外側に向かって行き、他人から奪う事でしか満たされないからです。
現代人の我々は、欲しいものが欲しい時に手に入る便利さに浸り過ぎたせいで他者から奪う事に躊躇がありません。
それを踏まえて私に出来る事は何でしょうか?昨年の私は「人がちょっとずつ優しくなればいい」と書いた様な気もしますが、今はそこまで厚かましい事は言えません。ただ他者が手に取る分には、一歩引いて遠慮する程度でも人間同士の軋轢を避ける事は出来るのではないかと、私は思います。
2025年9月末筆
「国策落語」に関わって
元々8月は私にとって平和について考える月であり、毎年展示会や戦争資料館に足を運んでいましたが、今年は「国策落語」を通して、抑圧された時代の芸術について深く考える期間となりました。芸術は非常時には真っ先になくなるものです。心の豊かさや想像力といったものは、戦争や災害が起こった際には「不要不急」として後回しにされてしまう。私はそれをコロナ禍において強く感じました。だからこそ芸術家は自分たちが創るものを信じる強さが必要なのだと思いますし、携わっているものについて常に信念や言葉を持っていなければならないと思います。そうでなければ簡単に潰されてしまう。
『献金長屋』の台本を通して、「戦争」「権力」という大きなものに抗う芸術家の気持ちを少しだけ感じとることができたような気がします。柳家金語楼は戦時中も芸術を信じ続けたのではないか。その思いを作品に込めていたのではないか。芸術の世界に身を置く者として、自分だったらどうするだろうと、より具体性をもって考える期間となりました。個人的にも参加できて良かったですし、運営として堀さんのサポートができて良かったです。
