(伊藤)ひとりを考える。

サブマネージャー伊藤です。

一昨日、ぱちぱちプレゼンツ「『ひとり』を味わうWS/芸術文化観光職専門大学ってどんなところ?」というオンラインイベントを開催しました。

参加者も多くて、色々な意見、表現に触れられて充実した時間になりました。

「ひとり」について考えているとき、私はアンドロギュノスを想起しました。

プラトンの『饗宴』の中でアリストパネスが語ったとされる演説の中で、太古の昔の人間には男女が一体(顔は2つ、手足は4本ずつ、性器が2つ)となっているアンドロギュノスという種族がいたという話が出てきます。

ところがアンドロギュノスは神の怒りに触れて引き裂かれてしまい、半身ずつになった男女は互いに求めあうようになり、それが恋愛なのだ、という話です。

私はこれを初めて知ったとき、妙に納得してしまって、それ以来何となく心に留めています。本当には信じられないけど、これを支えにすることで、自分の心を正当化したかったことがありました。

半身かもしれない誰かに出会って、もう一度結合しようとしても、その誰かと自分で「ひとり」になることはできないし、かと言って「ふたり」になるのも難しい。

永遠に私たちは「ひとり」と「ひとり」だと、本当に分かっていれば良かったのかもしれない。過去。

とか言いつつ、私は大切な人(たち)とは「ひとりじゃない」っていう状態になりたいな!と急に思いました。「ひとり」にも「ふたり」にもならなくていいからね。「ひとりじゃない」と思えれば。