(齊藤)攻めと守りのバランス

こんばんは。先週に引き続き連休を潰しにかかってくる台風に憤っているまゆたそです。

先週の私がどのように台風を追い風にして豊岡から東京に帰ってきたのかは、豊岡演劇祭観劇ツアーレポートで確認して頂くとして(まだ書いていませんが)、どしゃぶりの雨音を聞きながら久しぶりの日記更新です。

 最近、マスクを付けていない人を街中で見る機会が増えました。さすがに電車の中では外している人は余り見ませんが、駅の構内や公園の中、屋内屋外に関わらず素顔の人をよく見ます。能では仮面を着けていない状態のことを「直面(ひためん)」というのですが、私もマスクを着けていない人を見るたびに「わぁ…ひためんだなぁ……」と思ったりしています。

嘘です。そんなこと思いません(笑)。ただギョッとします。警戒します。

私は医療用でもなんでもない、一般的なヒダの付いた不織布マスクを使っているので、防御力なんてほんの僅かなのに。まるでそれがガスマスクであるかのような信頼具合です。

面白いですね。3年前までは何も考えずに素顔で街を歩き回っていたのに。今じゃマスク無しで外を出歩くなんて考えられない。

コロナ前は、この人マスクしてるな、と(病人や悪人の象徴として)記号的に使われることが多かったのに、(マスクを着けていると「風邪引いた?」とか「花粉症なの?」と聞かれたりしましたよね)今じゃすっかり顔と同化して、着けていないと逆に違和感があります。

この3年間、「マスクを着けない」ということは私にとって「虚構の象徴」でした。

テレビドラマの中、映画の中、演劇の中、ほとんどの場合そこで見る物語にマスクはありません。「現在」を描いているはずの物語でさえ、登場人物や街行く人々はマスクをしていませんでした。

この間私が出演した舞台では『検温、アルコール消毒をお願いします』というセリフはありましたが、私たちはマスクを着けずに舞台に上がりました。ですので私は、これは2022年現在の物語なのだろうか?それとも少し先の未来を描いた(マスクの着用はなくなったけど、検温とアルコール消毒だけはそのまま習慣として残った)物語なのだろうか?と不思議に感じたものです。

日本で元通り「直面」で街を歩く日は来るのでしょうか?

私はどちらかといえば保守的な人間です。

もちろん「迷ったら面白そうな方へ行く」というモットーはありますが、それはそれ。危なそうだな、なんかおかしいな、と思ったらその場で立ち止まるか引き返します。直感と勢いで生きてはいるけれど、守りに入ることの方が多いです。だからこそ勢いが必要であるとも言えます。

私だって早くコロナ前の状態に戻りたいです。客席で遠慮なく歓声を上げたいし、新しいリップを見せびらかしたいし、海外旅行だって行きたい。沖縄に行きたいし北海道にも行きたい。コロナに怯えることなくチケットを取りまくりたい。もちろん去年よりも一昨年よりもずっと動けてはいるけれど、それでも私たちはずっと制限されています。

別に「マスクを外せるようになったらコロナ渦が終わる」なんて言いたい訳じゃないけれど、それでも。

コロナ禍において1つの象徴ですからね、マスクは。

私が以前コロナに罹患した際、お医者さんに「もうマスクしなくても平気だよ」と言われました。「それでも社会的にはマスクをしないといけない状況だよね」と。

そうなのです実はまゆたそ、既にコロナに罹っています。

世界の現状を見ると、もうマスクをしていない国が沢山あります。

お医者さんに言われたように、もしかしたら私はもうマスクをしなくて良いのかもしれません。

それでも私は今日本に住んでいて、相変わらず新規感染者は減らないし、コロナで中止になる公演は沢山あります。

そして私は、マスクをしていない人を見るとギョッとするようになってしまいました。前のようには戻れません。

……この変化をどう捉えるべきなのか。

変わってしまったことを元に戻したいと思っている反面、今の方が生きやすい部分も確かにあるのです。

何をもって、コロナ禍は終わるのかな。

私は都合よくコロナ禍を理由にして立ち止まってしているだけなのだろうかと、マスクを外し始めた人々を見て、うーんと考えを巡らせる最近のまゆたそでした。

観劇ツアーレポート、書きまーす!

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