【豊岡演劇祭ツアーレポート】パーソナルトレーナーのために

パーソナルトレーナーのために

本今回の観光、と言ってもかなり時間が経った今書いているので、ずっと先にこの文を読み返した私は、幼い頃はポストカードを旅行先で買うのが好きだったことをぼんやりと思い出しながら、いつからそれをしなくなったのだろうと順番に思い出そうとし、そしてとうに踏み抜かれて空白になった過去を通り過ぎ、間違った結論をうっすらとした違和感と共に獲得して、何はともあれこれからはより世俗的なところで楽しもうとしようと、緩い決意をするのでしょうか。


果たしてそうなろうがなるまいが、そしてそれがその時の自分に何らかの利益を与えようが与えまいが、それを回避しようというモチベーションは今の所ありませんから(だから私はとても味気のない旅行をしたのですから)、素直に書きます。少し時間を置いたことでより思い出せることが少なくなり、もう消しましたが旅行のすぐ後の文章においてはしっかりと書かれていた、例えばリュックの重さや疲労、蒸し暑さなど身体的なものの印象がなくなり、穏やかな旅行だった気がしないでもないという意識を発見します。


旅程としてはまず、深夜バスで新宿から姫路へ。そして姫路から中国山地の間を縫うように播但線で北上し、和田山駅で山陰本線に乗り換え江原へ。江原から出石へバスで向かい、出石の永楽館にて「新ハムレット」を鑑賞。出石から豊岡へまたバスで向かい、夜からのヌトミック、「ぼんやりブルース」を鑑賞。この日は江原のぱちぱちメンバーが紹介してくれたシェアハウスに宿泊。翌日は台風の影響もあり、午前のうちに姫路に向かい、新幹線で東京へ。これらのどの部分においても私は観光客として褒められたものではなかった(つまり散財しなかった)ということは、すぐ後に書かれた文章においてもっとも強く意識されていたことですし、この旅行のさらに少し前に親がした旅行によってもたらされた品々と今回の私の旅行によって持ち帰られた品々を後から比較するとそのことが明らかでしたので、それが今回の旅行の核だったのでしょうか。


では、それぞれについて今覚えていることを少しずつ。姫路までは深夜バスで向かいましたが、アイマスクがなくカーテンの間から規則的にさしてくる灯りを遮るために、マスクを目の高さに上げて寝ていました。姫路から江原にかけてでは、「くるりのオールナイトニッポン」と「ナンバーガールのオールナイトニッポン」を聴きました。関西で聴くくるりは格別でしたし、ナンバーガールがしゃべる雰囲気に新鮮さを感じながらも、向井秀徳はいつも通りで安心したのを覚えています。


江原には午前10時ごろにつきましたが、出石までのバスは11時ごろ出発だったので、近くの川沿いを歩き、河原まで降りたりしていました。そこでは、鉄橋に消防士が使う白いホースが引っ掛かっていて、風にぶらぶら揺れていました。出石についてからコンビニの菓子パンで昼食にし(これも川のそばで食べました)、永楽館で「新ハムレット」を見た後、近くにあった温泉に入りました。そこでは、引き戸を開けると、すぐ目の前に肥えて嗄れ声の主人がこちらを向いて座っていたので驚きましたが、無愛想なその人に料金を払い、暖簾をくぐり更衣室へ。湯船は屋内に一つと屋外に一つで、それぞれ泉質は同じですから、いかにも地元の人が普段利用するといった風で、特にこれといったものはありません。


湯船に浸かっている間は人の会話をぼんやり聞いたり、「新ハムレット」を思い返したり、目の前で浸かっていた老人の背中の瘤をじっと見たりしていました。また、露天風呂の名前がなぜか「吉宗の湯」だったことと、そばにあった三体の地蔵が阪神タイガースの帽子をかぶっていたこと、更衣室にとても古い大地真央のポスターが貼ってあったことを憶えています。出石から豊岡へのバスでは寝ていたのであまり記憶がありません。確か、周囲の風景から山をなくせば茨城県の龍ケ崎市に近いなとか、山をなくすことはできないし龍ヶ崎も南端を掠めたことがあるだけなので意味のない感想だな、とか考えていたと思います。


豊岡には、空が暗くなる頃に到着しました。駅前には明かに浮いているニトリが入っているビルとほとんど閉まっている商店街があり、豊岡演劇祭と書いてある旗と、車道の真ん中に横倒しになっているショッピングカートがあったりしました。そのショッピングカートを歩道に引き上げてからコンビニで買い物して、またその前を通りかかると、全く同じ位置に横倒しになっていました。それから、スーパーで湿ったメロンパンにクリームとバターが刺さったみたいな菓子パンを買って食べ、芸術文化観光専門職大学にてヌトミックの「ぼんやりブルース」を鑑賞。終演後に夕食を買いにコンビニへ向かうと、ショッピングカートは歩道にあった自転車置き場に引っ掛かっていました。


江原のシェアハウスではとても綺麗で、建築系の学生グループが宿泊していました。我々はその上の階で、私は廊下で寝ました。翌朝は朝から雨で、台風の影響が心配されましたが、とりあえず朝食を食べに近くの喫茶店へ。台風情報が繰り返し流れるNHKニュースを目の端に見ながら、カフェオレのモーニングとたまごサンドを食べました。後から入ってきた常連らしき人と店主する、夫の親族が冷たいとか、それでも夫の姉弟の中で一人だけ優しくしてくれた人がいて、その人だけは●回忌に呼ぶつもりだとか、港に軍用艦が入港したニュースから、かつて自衛隊へ行っていた時のこととか、そういった話を聞いていると店主が昆布茶を出してくれましたが、たまごサンドとはあまり合わなかったので、最後に一気に飲み干しました。


雨はその時にはもう強く降っていました。シェアハウスで荷物をまとめ、姫路に向かいました。同行した斎藤と豊岡演劇祭のことを振り返るなどしていると、予約していた東京行きの深夜バスが運休になったので斎藤が調べていた新幹線に乗ることにし、こうなることを予想して予約しておけば少しは安かったものを、などと思いながらほとんどの店が閉まった地下の飲食店街でさつまいもとナスの天ぷらが乗ったうどんに天かすとネギを山ほどかけたものを食べていました。斎藤は確か肉うどんを食べていました。斎藤はなんとかその土地の名物を食べようとしていましたが、ほとんど閉まっていたので、それは叶いませんでした。その不本意な様子は見ていて面白かったです。新幹線では、最初は景色を見ていましたが神戸あたりで寝て、熱海で起きてからは大谷翔平の登板のまとめ映像をYoutubeで見ていましたが、すぐに東京に着いて、斎藤と別れ、家に帰りました。


以上が、今覚えていて書くにふさわしいと思われるものの全てです。これらの他に、1日目のほぼ全ての場面において、蒸し暑さと汗によって張り付くTシャツがあり、二日目の運休が発表されるまでの不安と煩悶、発表後の自棄と爽快とがあったことは、この旅行の通奏低音の一つと言えるものでした。


今回の旅行で観劇した2作品についての感想を。


先ず、「新ハムレット」について。「新ハムレット」は出石永楽館にて上演されましたが、私が今まで抱いていた小劇場演劇のイメージそのままといった趣で、とても上演場所である永楽館に合っていたように思えました。「ぼんやりブルース」は、さまざまな声が届いたり届かなかったり、ずれながらリンクしたり、排除と包摂、そして配られたパンフレットにあった通りに、震災がずっとその底を流れていました。そして音楽が、歌と合流したり独立したりして、叙情的な弾き語りがあり、EDMがありました。でも最終的にはその二つよりも、喫茶店での主人と常連の会話や帰り道の紆余曲折が最も豊かな経験として残りました。ですから、旅行先で散財することは褒められるべきですが、今回の旅行でほぼそれをしなかったことは特にこの旅行を振り返っている今の私にとっても、この文章をあらためて読み返す私にとっても、今回の旅行を思い出すこともなくなった私にとっても、それらの私がそれぞれの私自身について持つ認識において特に欠点があらわれた具体例だとは思われないでしょう。


今後、私がおそらく生きていき、制作をしていく場合に、今回の旅行がどのような位置を占めるかということについては、あまり見通しは効かないながらも、おそらくそれほど重要なものにはならないだろうと思います。そして、それは悪いことではなく、訪れたことのない場所でぼんやりとした時間を過ごせたことは良かったと思っていますし、だからこそ、意識できない形で今後生きていくことやそれに伴う制作に影響を与えることもあるかもしれません。私は自ら何かを企画したりはおそらくせずに、人が立ち上げた企画に乗っかって生きていきたいと思っているので、このような機会がまたあれば参加したいと思います。


以上が私の書く、豊岡演劇祭観劇旅行についてのレポートです。この文章の元となった記憶が、私によってどれほど歪曲されたり、強力な単純化の影響下にあるのかはわからないのですが、これが私による誠実な(つもりの)報告書です。最後に、このような機会を与えられたことについてとても感謝しています、他の参加者のレポートもぜひ読んでから帰っていただきたいと思います。

この記事を書いた人

内田 颯太
1999年生まれ。演劇よりプロ野球が好き。広島の新監督は新井さんより黒田さんの方が良かった。