ユース世代が「自分にとっての演劇の続け方」を試す場「演劇ネットワークぱちぱち」のメンバーの活躍と魅力を、ぱちぱち制作の齊藤舞夕が紹介します。
永高涼(えいたかりょう)
2002年8月4日生まれ22歳。東京都国分寺市で生まれ育つ。
高校1年生の6月、演劇部に入部し演劇を始める。現在は桜美林大学芸術文化学群 演劇ダンス専修の4年生。
大学1年生の時に「劇団片倉天国」に入団し、その後、劇団「アジアン・モンスターズ」を旗あげ、主宰兼役者となる。
ぱちぱちでは「お涼」「お涼さん」などと呼ばれている。
劇団片倉天国
「部活動以外に演劇が出来る場が欲しい」と都立片倉高校の演劇部員、 古川佑紀(康忠功)、奥山樹生、齋藤龍之介の3名によって立ち上げられた劇団である。以降、「演劇をやる人をもっと増やしたい」という想いを掲げながら、スタニスラフスキー・システムに基づいた劇作活動を続けていたが、2023年12月に活動を休止。
※これは2024年5月に行ったインタビューです。
演劇を始めたきっかけ
永高
きっかけは部活で、高校1年生のときに友達に誘われて部活の新人公演を見に行って、面白そうだなと思って。
演目も面白かったんですけど、雰囲気が楽しそうで、普段クラスで見るそいつ(友達)と様子が違うから、それが面白そうだなって。
齊藤
友達に誘われて、友達が出ている公演を見に行ったんだね。
永高
(そのときが)6月で、入学してから2ヶ月ぐらい間があって、部活に入っていなかったから、なんかやりたいなとは思ってて。
齊藤
普段の友達とはどう違ったの?
永高
普段は…なんかチャランポランな感じだったんですけど、劇に出てる時は、ふざけてたけどなんか一所懸命で、熱意があった。
齊藤
そうなりたいって思ったの?
永高
いや、ぶっちゃけ動機もふわっとしてて、何か部活には入りたいなって思ってた時の一押しがそれって感じ。それが演劇との出会い。
漫画家になりたかった小学生時代
永高
小学校の頃に漫画を描いてて、そもそもその時は漫画家になりたいって思ってたから、漫画を描いてクラスメイトに読ませるみたいなことはやってて。
齊藤
どのくらいの漫画?
永高
学習ノート30冊分くらい。
齊藤
えー!がっつり漫画家になりたかったんだ。
永高
がっつり漫画家になりたくて。小3から始めて、小6までずっと描いてた。
で、そんとき鉛筆の芯を集めてたから、鉛筆の芯を通貨として「じゃあ芯5個くれたら、おれ漫画貸し出すよ」って。
齊藤
無料じゃないんだ(笑)
永高
最初は無料でやってたんですけど、他にも読みたいっていう奴がいるから、「あんまりタダで貸し出してると読みたい奴が読めない」ってなって、じゃあ鉛筆の芯持ってきたら読ませるよっていう仕組みにしてましたね(笑)
齊藤
その30冊くらい描いてた漫画はシリーズものなの?
永高
シリーズで10何巻くらい描いて、次のシリーズ描いてっていう感じでした。4作ぐらい描いたかな。文字にするのが苦手だったので、絵の方が、物語を作りやすかったっていうのはありますね。
齊藤
すごーーい!!
永高
それを小6までやってました。中学になってなんで辞めちゃったのかは覚えてないけど。
齊藤
(辞める)きっかけがあったとか?
永高
中学生までは漫画家になりたいと思ってて。俺中学のときは美術部に入ったんですよ。そしたら友達も忙しくなっちゃったから、「漫画貸してよ」って言ってくることも無くなったし、俺は俺で(ゲームとか)別の遊び方を見つけちゃってるから、漫画を描くっていう遊びから離れちゃった。あとは、美術部に上手い子がいたんで、それで俺も挫折じゃないけど「ああ、上手い奴は上手いんだな」って。そういうのが色々重なって。
それに中学生だから中二病……思春期じゃないですか。その、漫画を描いてるっていうのも恥ずかしいなって思っちゃって。スポーツとかやってなかったから。「漫画描いてる奴ちょっとアレだな」ってなっちゃって(笑)それで辞めたのかな。まあ色々ありましたね。
片倉高校入学〜音楽から演劇へ
永高
片倉にいなかったら、演劇やってないだろうな。
部活に2ヶ月間入ってなかったっていうのも理由があって、中3の後半から絵を書かなくなって、何にはまったかって言うと、音楽ハマッちゃって。ロックバンドとかすごい聞いてて、(片倉)入ったらバンドやろうと思ってたんですよ。でも片倉には軽音部がなくて、吹奏楽部が強いから、それが教室を占拠しちゃって部室もなくて、顧問もいなくて。だから(軽音部を)作ろうとして仲間募って、というのを2ヶ月ぐらいやって、結局部室問題と顧問問題を突破できずにフラフラしたっていう。だから片倉に入ってなかったら演劇出会ってないし、軽音部があったり作れちゃったりしてたら、演劇やってないなって。
齊藤
そうだよね。もし作ってたりしたら、3年間音楽に打ち込んでたかもしれないし。
永高
そうですね。ちょうどバンドやってたんじゃないですか。「アジアン・モンスターズ」っていう。
齊藤
(笑)中3からロックバンドにハマったっていうのは誰の影響?
永高
歌い手で好きな人がいて、それから音楽を聴くようになったり、歌をいっぱい歌うようになって。もともと両親が音楽好きっていうかバンドをやってたので、家にもCDがいっぱいあったり、日本の曲を聴く前にPrinceとかEarth Wind & Fireとか聞かされて育ってるから、いろんなルーツがあって、なるべくして音楽好きになったっていう。
齊藤
それで演劇部に入って、どういうことをやってたの?
永高
プロの女優さんにうちの部活と縁がある方がいて、毎年ワークショップをやりに来てくれて、それと、新人公演の数ヶ月後にイベントがあったので、その2軸で活動していました。僕はその公演には参加しなかったんですけど、とりあえず見て盗めるものは全部盗もうと思って、ずっとノートを開いて、顧問とかその女優さんの言ってることを全部メモするみたいな感じで食らいついていました。最初は舞台で自分が演技するっていう事はなくて、夏の大会まではずっとメモしてました。やるからにはちゃんとやろうと思ってたから。
この間(ノートを)見たんですけど、結構いいこと書いてあったり。今俺が思ってる演技の向き合い方とあんまり相違ないなって。あの期間は俺にとって重要でしたね。何もやらずにそれだけ(ノートを取るだけ)の時間っていうのは。むしろそっから演劇入れたのはラッキーだったなって思います。
演劇って俺が思ってるより広いかも
永高
その後は夏の大会に(役者として)出て、その後くらいかな、大会が終わって9月くらいに演劇部の一個上の先輩と恋仲になっちゃって僕が。
部活に入るときに部活をちゃんとやろうと思ってたから、同期とは絶対にそんな浮ついたことはしないって固く誓ってたんですけど、一個上の先輩だったからまぁいっかみたいな感じで。
齊藤
浮ついてる(笑)
永高
恋愛をして、それがあんまりうまくいかなかったんですよ。部活にとって。だんだん居心地が悪くなっちゃって、冬に退部したんですね。先に先輩の方が退部して俺1人になったから、それはそれで居辛くて退部して。ていうのが1年生ですね。(理由は)めっちゃ俺のせいで、くっつきすぎちゃった。部活の中で。
齊藤
それは…うん。部活内でカップル作ると厄介だよね…。
永高
よく聞くんですけど、身を持って(知った)。
齊藤
その後はどうしたの?
永高
むしろ演劇に本腰を入れたのはその後で。
部活を辞めてしばらく演劇から離れてたんですけど、結局いろいろあって彼女と別れちゃったんですよ。それで夏どうするかなって思ってた時に、演劇部の方から声がかかって。
「大会に向けて野田秀樹(の戯曲)をやるんだけど、男のキャストがいない。永高ならキャストとしては信頼できるから、ちょっと戻ってやらないか」って。
俺も演劇やりたいなと思ってて、未練があったから是非って形で部活に戻った。僕も今度こそ本気でやるぞっていうか。罪滅ぼしじゃないけど。
その大会が、個人的にすごくデカい舞台だったんですよ。リベンジマッチだったし。役者の人数も3人だったから。『表に出ろいっ!』っていうやつで。顧問に直々に演出つけてもらったりもしてて。人数も俺らの代が1年生16人だったのが、減りに減って8人になってたから、減った分より密にコミュニケーションが取れたし、みんなと仲良く作り上げていった。でも仲いいってだけじゃなくて本気で勝ちに行くぞっていうつもりでやってたから、それがすごい自分の中でアツくて。そこからですね、演劇を本気でやろうと思ったのは。
それで3年生になって将来どうすんだって風になっていくじゃないですか。そうなったときに、俺は演劇をやりたいなって思って、演劇の可能性を探していきたいなってなって。大学を演劇にするって決めたから、より一層演劇に熱入って。
齊藤
大学はどうして桜美林に決めたの?
永高
そうですね。まぁ元々大学で演劇をやろうと思っていなくて。
齊藤
大学の外でやろうと思ってたんだ?
永高
演劇を続けると思ってなかったです。部活引退したらやめるかなって思って。ただ絵を描くっていうのも個人的には熱が冷めてたからどうするかなって思ってて。その時にちょうどコロナ期間だったんで、YouTubeで柿食う客がいろいろ出してて、その中に玉置さんがやった『いまさらキスシーン』っていうのが上がってて、その舞台を映像で見たときに怖かったんですよ。玉置玲央が。怖えって思って。それまで、芝居って怖さを演出できるもんだと思ってなかったんですよ。そういう芝居を見たことがなかったし、て言っても高校演劇ぐらいしか見たことなかったけど。高校演劇って怖くないし。
齊藤
どちらかと言えば、自分たちの叫びみたいな方だよね。
永高
(高校演劇では)怖くしようとしても滑ってるし、怖くないから、怖さを演出するにも限界がある。俺にもそういう発想はなかったし。だから、玉置玲央が芝居一本で怖かったから、演劇って俺が思ってるより広いかも。そこから演劇の大学行こうって思った。俺まだ演劇やろうって。桜美林にした理由は、スタッフと役者が両立できるから。日芸とか多摩美ってコースを選ばなきゃいけないのでどっちかしかできないんですけど、桜美林だったらコースはないから。演劇って言うひとくくりのコースだから。幅広く、これは演劇を学べるぞって思って桜美林にしました。
齊藤
実際そうだった?入ってみて。
永高
そうですね。本当に…戯曲を書いたり、演出も、これから演出の予定が3つ位あって、これまでやってきた芝居の活動も、劇団の制作とかも全部桜美林に行ったからできるっていうか。思いますね。
ぱちぱちに参加したきっかけ
永高
きっかけは覚えてないですけど、2022年の『むかしむかし、あるお家に』が初めての活動です。それまで劇団の出演が主だったので、外部への出演がしたいなって思ったときに、その話が来たからっていうのがありますね。
齊藤
そうなんだね。
永高
出演するにはメンバーじゃないといけないから、だからメンバーになったっていう。だから今年で3年目ですね。
齊藤
お涼さんがこれまでしっかり関わっているのは、その『むかしむかし、あるお家に立川公演』と『少しはみでて殴られた』と「ぱちぱちサイファー」だよね。
永高
『むかしむかし〜』は本番は出られなかったですけど。俺が記憶してるのはそのあたりです。
齊藤
『少しはみ出て〜』はなんで参加しようと思ったの?自分のキャリアに役立つと思ったから?
永高
ちょっと覚えてないんですけど、多分そうだと思います。この時点で2024年のミュージカルが控えてたので、それも含めてステップアップって感じで考えてたと思います。それと、ぱちぱちにおいての芝居に対する意識みたいなものを上げたいなと思ってた。
齊藤
サイファーをやるにあたってのキッカケは?
永高
サイファーっていうのは、ヒップホップカルチャーの1つの要素で簡単に言うと、ストリートとかで、人が集まってダンスとかラップとか技を競い合う。サイファーって0っていう意味で、人が集まって輪になってる様子を例えてサイファーって言うんですよ。
元々片倉天国にいたときに、先輩がラップにはまってて、ラップ劇やろうってなって、2022年3月にラップ劇をやったのをきっかけに、俺もラップが好きになってて、それ以来片倉天国で演劇の活動としてラップを取りいれるようになった。それ以降やってないけど、これはぱちぱちに持ち込んだら面白いんじゃないかって思った。ぶっちゃけ演劇に役立つとかっていうのはあるけど、ラベルみたいなもので普通にラップしたいよねって言うのが本音なところです。それでぱちぱちでもラップできる場ができたら楽しいよねって言う話で立ち上げましたね。
齊藤
私も参加したいなと思ってます。
永高
おかげさまで。ありがたいですね。
仕事をしながら演劇を続ける
齊藤
自分で企画を立ち上げる以外にも、今後こういう風にぱちぱちを活用していきたいっていうのがあったら教えてください。
永高
今後の話をいえば、俺は就職をするつもりなので、そうすると従来の演劇のやり方は変えなきゃいけなくて、だから、ぱちぱちを利用する面は逆に増えるんじゃないかなって思っています。後は劇団を持っているので、我々の劇団で何かできることがあれば。
齊藤
劇団としては、どういう風に今後やっていくの?お涼さんが就職することによってどういう風に変わっていくのかとか…メンバーの人もまだ大学生の人もいるでしょ?
永高
そうですね。幅広くいるので、もちろん継続はするんですけど、やっぱ働くってなると続け方は変えなくちゃいけなくて、ただ現時点で社会人のメンバーが1人いるので、稽古とかはそんなにガラッとは変わらないかな。(今も)土日使って休みとか夜間使ってやってくみたいな感じになってるので、あんまり変わんないんじゃないかな。
まぁゆくゆくは劇団の自立を目指してやります。
齊藤
今、劇団の収益というか、資金集めはどういう感じでやってるの?
永高
今は旗上げしてないので、収益と言う意味では、0なんですけど、資金集め的には普通にバイトして、自分のポケットマネーと劇団員のポケットマネーでやりくりしてますね。
齊藤
片倉天国もそんな感じだったの?
永高
片倉天国の時は、所属している劇団員が毎月劇団費用を払わなくちゃいけなくて。
齊藤
大学のサークルみたいだね。
永高
そうですね。公演になると当然足りないから、公演で必要になったらそれぞれで負担っていう。
自分は今逆にしてて、俺が劇団員に3ヶ月に一回給料を支払うってしていて。劇団員は給料をもらえるっていう。そのかわり公演に必要になった時は割り勘。だから劇団員にとってもプラマイマイナスなんです。でも、まぁシステムはそうなってますね。
劇団員から「毎月支払いだとまとまってもらえないし、確認もめんどくさいから3ヶ月に1回にしてくれ」って言われたので、年4回支払う。これが俺が就職してもうちょっと収入が増えたりだとか、劇団員も劇団員でもっといろいろな仕事ができるようになってきたら、もちろん給料増やすし。でもシステムは今のうちから作っとかないと後々混乱すると思って。お金周りは今そんな感じですね。
現状俺の負担は大きいんですけど、でもそれは自分がやりたい場所だから、それにみんな劇団員はついてきてくれてるって形だから別に不満はないです。むしろ当然というか、1番やりたいって思ってる奴が1番やるためのコストを払うべきだと思うので、そこも特に痛くはないですね。
齊藤
ぱちぱちのメインターゲットは18歳〜25歳だから、これからどんどん大学を卒業する人が増えていくわけじゃない?その中で就職をしてて演劇を続けるっていうメンバーの生き方が、これから参加してくる大学1年生の子からしてみればロールモデルにもなるだろうし、そういう意味で今お涼さんが「就職しても演劇をまだやる」って言っていることは、すごく意味があることというか、18歳〜25歳の人がいるぱちぱちの強みだなと思う。
永高
あー、じゃあ25とか26才になったらまたこの話します?演劇続けてるかどうか(笑)
だからぱちぱちで今後どうしていくかっていう話だと、うちの劇団「アジアン・モンスターズ」で何かできればと思います。うちももちろん知名度広げたいし、うちは就活する俺もいれば、俳優としてやっていくっていうメンバーもいるから、「全員が就活」ではないので。多様な価値観に触れられるし、全然稽古場に遊びに来たかったら連絡くれれば歓迎だし。
自由でありたい。
齊藤
将来の夢を聞いてもいいですか?
永高
夢か。まぁとりあえず、劇団は大きくしたいですね。さっき「自立」って言葉を使いましたけど、別の仕事(会社とかで働くっていうの)をしなくても、劇団の収益である程度劇団の活動が回せる状態にまずは持っていきたいですね。
個人の夢としては、俺はお金持ちになりたいっていうか、なんていうか、「自由」っていうのが自分の中でテーマとしてあって。自由でありたいっていう風にずっと思って生きてますね。まあ現状、自由になるためにお金が必要だし。お金持ちになりたいっていうのは、個人の目標としてありますね。
齊藤
お涼さんにとっての自由とは、やりたいことをやれる自由?
永高
そうですね。やりたいって思った時にやりたいことをやれるし、会いたいって思った時に会いたい人に会えたり、何かそういうようなことが自由。
お金持ちになりたいっていうのは、究極、今1億円とか2億円が手元にあったら公演打てるじゃないですか。今は何10万っていう劇場借用費を工面するのも大変だけど、1億円あったらそんな悩みは飛ぶじゃないですか。自由に芝居を作るためにお金持ちになりたい。それでお金を儲けるのに演劇を利用すると遠回りだから、普通に就職をして、資本金を稼いで、それを投資に回したりとかなんとかして、お金を作っていく。回り道のように見えて俺はそれが1番近道だと思ってる。
齊藤
なるほど。
永高
やっぱり公演の収益だけでビジネスとして演劇を回していくのは、劇団単位だと現実的じゃないっていうのはあるし。
将来行き着くところは「自由になりたい」なんで、自由になるためにはまず周りに貢献するっていうか、それは矛盾してるようで考えてみれば普通のことで、何かを得たいんだったらまず自分から先に何か渡していかないといけない。だから自分が俳優として事務所に入るとかではなくて、普通に就職をするっていう。
齊藤
いいね。
永高
だから、今就活真っ最中です。
齊藤
頑張ってください!
永高涼さん、沢山のお話をありがとうございました!
演劇の続け方や将来の夢について、自分なりのとてもハッキリとしたビジョンを持っているのが素晴らしいなと思いました。
次回の「ぱちぱちメンバーズファイル」は、奥山樹生さんです。お楽しみに!
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ぱちぱちでは、常時新メンバーを募集しています!
ぱちぱちに参加したいという方はもちろん、まだ考え中だけど話だけ聞きたいなど、少しでも興味を持ってくださった方は下のリンクをチェックしてみてください!↓