「あなたが演劇とのより良い付き合い方を見つけるための環境作り」を目的に活動している「演劇ネットワークぱちぱち」のメンバーの活躍と魅力を、ぱちぱちプロデュースチームの齊藤舞夕が紹介します。
奥山樹生(おくやまいつき)

2000年5月18日生まれ。24歳。東京都八王子市「多摩ニュータウン」で生まれ育つ。
多摩美術大学 演劇舞踊デザイン学科 演劇舞踊コース卒業。現在は大学院の演劇専攻に在学する2年生(休学中)
※これは2024年6月に行ったインタビューです。
演劇を始めたきっかけ
奥山
演劇部自体は、初めて高校で入ったんですけど、それ以前から落語とか活弁とかそういうワークショップが好きだったというか、親に連れて行かれて好きになったみたいなところがあります。後は幼稚園のお遊戯会とかが好きだったんで。
映画を作ったりするワークショップが好きで、中学の頃、演劇部の人と一緒にお楽しみ会みたいな感じで一緒に作ったこともありました。
齊藤
中学の時も演劇部はあったけど、入らなかったってこと?
奥山
そうです。演劇部には入ってなかったけど、僕は基礎トレーニング部だったので……。
齊藤
「基礎トレーニング部」ってなんですか?(笑)
奥山
僕の中学校には陸上部がなかったんですよ。それで、多分その代わりみたいなので誰かが作ったんですね。今はもう存在しないんですけど。
それに入ったのも、僕が中学生の時の夏休みに中学生向けの映画のワークショップみたいなのがあって、それに行きたかったから。基礎トレーニング部は本気の部活じゃなくて、大会を目指してるわけじゃないから夏休みにも休んでいいし、そういう部活に入ってるから、ワークショップにも行けるしっていう感じで入部して。
映画ワークショップだったり、お話を作ったりすることが好きでした。あと落語とかもやってたりしたから、演劇部の人たちとの関わりもあって……。
例えば、中学のマスコットキャラクターがいて、「マツギマン」っていうのがいたんですよ。松木中学校だったんで「マツギマン」。生徒会が管理してるヒーローみたいな、集会とかで定期的なショーやったり、運動会に出てきてちょっと盛り上げるみたいなことをしてるキャラで。「それの台本が書きたいんだ!」って言って、書いて集会でやってもらったら、全然信じられないスベリ方をしてたり……。いわゆるこの場で言っても何も伝わらないようなシュールな台本書いちゃって、「なんだ?」って言う滑り方で終わりました。
それで高校入った時は演劇部入ろうかなって思ってて、楽しそうだったし。僕は中学校の時に入りたかったけど、ほかでやりたいことがあったりとか、あと、中学の演劇部ってマジで男子がいなかったから、ちょっと入りづらいなって思ってたところがあったんです。なので高校で演劇部に入ろうとは決めてました。
キッカケとしては曖昧だけど。
アルメニアに住んでいる兄がいる
齊藤
それより前の幼少期はどんな感じだったの?
奥山
映画館に連れてってもらうことが多かった。比較的静かに見ていたらしいので、結構親も気兼ねなく連れて行ってくれたみたい。
齊藤
最初に見に行った映画は覚えてる?
奥山
親に聞いてみたんですが、親も覚えてなくて僕も覚えてなくて、親はそういうもんだと思うんですけど長男のは覚えてたんですよ。兄のは覚えてたけど僕のは覚えてなくて……。
齊藤
兄がいるんだ。
奥山
アルメニアに住んでいる四つ上の兄がいます。この間アルメニア語の大学の勉強を修了しましたって写真が送られてきました。
兄は演劇をやっている訳じゃないから、僕とは全然趣向が違うけど。
齊藤
映画館にはどれぐらいの年齢から連れていってもらってたの?
奥山
やっぱりねー、長男の方の記憶の方が残ってるんですよね。親にね。記録って圧倒的に違うじゃないですか。兄の記憶と僕の記憶を混濁してるのもあるけど、それこそ大人とかに「ちっちゃいのに観てて偉いね」って言われてた記憶がありますね。2歳くらいから連れてってもらってたのかなー。
あんまり若い親じゃなかったから、すごい僕らに対して、「親も歳なんだからそんなにねぇ、暴れないでよ」って言ってたらしいから。分かんない(笑)僕らも幼いながらに気を使ってましたね。
齊藤
じゃあそんなにわんぱくというか、ギャーって走り回るタイプでもなかったの?
奥山
でも走り回るのとか好きだったと思うんですね。いわゆる非認可タイプの、山で遊ばせよーとかって言う幼稚園だったんですね。
幼稚園の園長が尖ってて、「幼稚園じゃなくて私は幼児園と呼びたい」みたいなこと言ってて。なんか尖ってて(笑)
今はもうその幼稚園は無いですけど、そういうところに行ってたのもデカかったのかもしれないですね。町田と多摩の山奥みたいなところにあるんですけど、そこで走り回って、遊んで、みたいなこともあり、充実した遊具とかはあんまりなかったから、自分たちで遊んでたりはしましたね。絵を描くのとか好きだったな。
齊藤
落語をやり始めたのはいつ?
奥山
小4ですね。出会ったのはもっと前ですけど。例えば、年末とかになると「『芝浜』を大晦日に聴くのがいいよなぁ」みたいな親だったから、落語はすごく身近にあった。寄席とかも映画みたいな感じで連れてってもらったこともありました。でも自分でやるっていうのはたぶん小学4年生が初めてで、それこそワークショップがあって、それで教わって小6くらいまでやってたのかな?
そしたらワークショップは無くなっちゃったけど、小学生の時とかって日記を書くじゃないですが、それに書いたら先生に「じゃあお楽しみ会でやってよ」って言われて、お楽しみ会でやったりはしてましたね。全然ウケてなかったけど。『饅頭こわい』をやってもオチの意味が通じてないっていう(笑)
齊藤
(笑)
奥山
あれどういう意味なの?って言われて、「どういう意味かぁ……」って思ったこともありましたね。
基礎トレーニング部で培われた体力
齊藤
それで中学から「基礎トレーニング部」に?
奥山
小学生の時とかも夏休みに映画のワークショップに行ってたんです。中学生になると15分とか20分尺の映画を作れるワークショップがあるって聞いてたから。中学生になったらそれに参加するぞって思って、夏休みは学校に行かなくていい部活に入ろうって決めて基礎トレーニング部。でも意外と基礎トレーニングも本格的なんで、結構走り込むんですね。そのおかげで長距離の距離が伸びたりとかしました。
齊藤
映画撮るのって音響マイクとかカメラとか機材が重いからめっちゃ体力いるよね。
奥山
そうそう。しかも暑いじゃないですか、だからそういうしんどさもあったし。
齊藤
なんかそう考えると基礎トレーニング部は……。
奥山
体力作りとリンクしてたかもですねー(笑)
基礎トレーニングのおかげで、高校になっても長距離の記録は結構良かった。造形美術コースだったから、みんなそんなに運動が得意なわけじゃないし、そうなるとクラスの方で早いほうに入れたんです。
齊藤
いつきは部活の中でどういうポジションだったの?
奥山
僕はもうずっと叱られているポジションでしたね。
齊藤
え!でも落語だったりとか映画だったりとか、他の人に比べて演劇部に活かせる経験値はたくさんあったんじゃないの?
奥山
最初は自分の中で結構あったと思います。いろいろやったしな。活かせるかなって。でもそういうことはすぐ忘れたっていうか、関係なかったかなって。
演技とかも落語とかでセリフ言うの慣れてたから、褒められることもあったけど、かえってそれが障害になっちゃうというか、それで演技しづらくなっちゃうっていうのもあったんで。
齊藤
例えば?
奥山
落語は1人でやるから、相手とやり取りするみたいなことに対してすごい難しくなっちゃう時はありましたね。結構セリフっぽくなっちゃうみたいな。歌っちゃうというか。相手からの自然な反応でやりたいけど、高校演劇の時は誰もそういうこと言ってくれないから、そういうのが大学生になってから結構下手だったかな、みたいな。
高校演劇の頃は、とりあえず抑揚を持ってセリフを大きく言えば、みんな褒めてくれるっていうのはなんとなくあったんですよ。僕の中では。僕の中でうまくやってるつもりだったけど、ちょっとうまくやろうとしちゃってたっていうのが、おいおい自らを苦しめるようなことになったっていうか……。
勉強がここまでできない時点で受かるわけがない。やめよう!
齊藤
多摩美術大学になんで入ろうと思ったの?
奥山
日本大学芸術学部にも興味あったんですよ。それこそ予備校とかも通ってたんです。勉強が多分片倉高校での勉強じゃ足りないから。
齊藤
でも片倉の造形美術コースだったら推薦入学とかもあったんじゃないの?
奥山
日芸は古文の勉強をしなきゃいけないけど、片倉では古文の勉強をしなかったんですね。「よし、古文の勉強しよう」と思って予備校通ったけど、「いや今からは無理だ。やめよう」ってなって。
齊藤
どのタイミングで志望校を決めたの?
奥山
いつだったっけなぁ……結構ギリギリでしたけど、それこそ多摩美は推薦で入ったんで……多分、願書提出する時ぐらいに多摩美でいいかって。江古田に通うの遠いなって思ったのもありますけど(※日芸は江古田にキャンパスがある)、1番はやっぱり古文ですね。「勉強がここまでできない時点で受かるわけがない。やめよう。」「このままたとえ日芸に推薦で受けて落ちたとしたら、一般を勉強する気持ちがあるのだろうか?ない!多摩美行こう!」っていう(笑)
それで推薦受けたら受かってました。大人の前で台詞読んで、音楽に合わせて体動かしたりしたら入ってた。片倉高校を受験した時も、中学から推薦で「デッサンをする」という受験方法だったので、これまで、いわゆる一般試験の勉強をしてこなかった人生でした。
演劇ネットワークぱちぱちに参加してみて
齊藤
どうしてぱちぱちに参加したの?
奥山
それこそ八王子のタウンニュースとかかなぁ、八王子の広報誌か何かにぱちぱちの情報が載ってたんです。多分それが元々のきっかけだけど、それ以前から、「劇団片倉天国」をやっているときに八王子学生演劇祭に参加して、その時に(ぱちぱち総合ディレクターの)中込さんとかに会って、じゃあ知ってる人たちだしぱちぱち参加しようかなって。
劇団片倉天国
「部活動以外に演劇が出来る場が欲しい」と都立片倉高校の演劇部員、 古川佑紀(康忠功)、奥山樹生、齋藤龍之介の3名によって立ち上げられた劇団である。以降、「演劇をやる人をもっと増やしたい」という想いを掲げながら、スタニスラフスキー・システムに基づいた劇作活動を続けていたが、2023年12月に活動を休止。
齊藤
前回のぱちぱちメンバーズファイルでおりょうさん(永高涼)が話してくれた片倉天国だね。
地元で演劇ができる。
齊藤
何に魅力を感じてぱちぱちに参加したの?
奥山
八王子でやってるということですね。地元で演劇の活動ができるっていうのが僕にとっていいなぁって思ったし、軽いノリで演劇のこととかに参加できるならいいなって思ったっていうのが大きかったかもしれないですね。あと結構やりたいこともあったから、気軽に僕のやりたいことができそうだと。
齊藤
それが多摩ニュータウンヒーロー部だったりと。
奥山
そうですね。
「多摩ニュータウンヒーロー部」の発足
齊藤
私がいつきと初めて出会ったのが2022年に立川で上演した『むかしむかし、あるお家に』の公演な気がする。

いつきはイイダコ役で出演しました。


奥山
そうかも、イイダコ役をやってた時かも。最初にぱちぱちの中で大きい企画をやったのが『むかしむかし〜』かもと思いますね。そこで初めて会ったメンバーが多かったです。
齊藤
2023年に上演した『むかしむかし、あるお家に〜アイコとユウスケのだいぼうけん〜』にも出演したね。あの時は教育委員会の方とかが観に来てくれていて、いつきをすごい褒めてたんだよ〜!

いつきはたぬ平太役で出演しました。


奥山
僕自身はすごいやることがあっていっぱいいっぱいだったから、演出の中村大地さんとかにも「どうでしたか」って恥ずかしくて聞けなかったし、嬉しいですね。
齊藤
「多摩ニュータウンヒーロー部」は、どのタイミングで発足したんだっけ?
奥山
2022年ですね。やり始めたのは。多分、完全に活動として始めたのは、2022年の5月かな。
齊藤
もともと「ご当地ヒーローを作りたい」っていうところからスタートして、結構初期の段階から「タマネオン」(※多摩ニュータウンマンの初期のネーミング)ができてたよね。
奥山
こういうのがあったらいいなっていうのを何回か自分で書いて、周りの人に相談してデザインして見せてっていう感じですね。
齊藤
私にとって「多摩ニュータウンヒーロー部」は、ぱちぱちの企画の中でも特に5年後10年後のビジョンが見えるというか、そういう企画だなと思ってる。「タマネオン」っていうネーミング、好きだったんだけどな〜。
奥山
最終的に「多摩ニュータウンマン」っていう名前になって、自分のこだわりたいところも大事だけど、人に伝えると言う目的を考えたときに、名前はそういう方がわかりやすいんだっていう発見もあった。いろんな人が関わることによって変容してたっていうか。今はいろんなことがしっくり来てますね。
今後の「多摩ニュータウンヒーロー部」の展開
齊藤
今後やってみたいことはありますか?
奥山
今は僕が多摩ニュータウンマンの声をやっていますけど、今後は僕以外の人もそういうアクトをやれたほうがいいと思っていて、声っていうのは若干キャラクターに関わることではあるから、どこまでいろんな人がやるか悩みどころです。そこはまぁ、まだやわやわな状態ではありますけど。キャラとして存在しているから色々な人がいるようになってもいいのかなって。
衣裳のスーツとかはやるごとにバージョンアップしていきたいし、頭の素材をもっと高価なものでできるようになればいいなって思いますね。今の素材もとてもいいけれど、いずれ多分限界が来たりとか行動に限界が来たりとかするから、しっかりしたプラスチック製のやつとか……。
体の部分が最近ちょっと悩みどころで、いざ作ってみると、色々削いでベルトと普通の作業着とマスクだけになったけど、意外とそれでもいいなって。実際にヒーローショーやってみて、意外とこのひょうきんなキャラクターにはそんなに装飾は必要じゃないんだって思った。昭和ライダーぽくていいなって。



あとご当地ヒーローは、多少のケレン味というのがあったほうがいいんだなって思いました。
「さいたぁマン」ていう完全に全身タイツのヒーローがいるんですけど、それはもう生き方というか、そういう存在感の出し方ってあるんだって思って。これを見たときに、ご当地ヒーローっていうのはただ外見がカッコよければいいとかそういうことじゃないなって。「これだからついて行きたくなる」という魅力が「さいたぁマン」にはあるし、いろんなご当地ヒーローには「それ」があるので、やっぱり「何を大事にしたいか」っていうことが大事になってくるなって思います。そうしたら意外と「削がれた多摩ニュータウンマンのデザイン」が結構自分の中でしっくり来るようになってきたんですね。方向性が自分の中では迷子だったけど、形作っていく中で見出されてきたみたいな。
齊藤
なるほど。やっていく中で徐々に洗練されてきたんだね〜。これからもっと大きいところに呼ばれたらいいね。
奥山
そうですね。これから多摩ニュータウンに来る人とかに街の紹介とかをしたいですね。広報誌に載ったりしたいし。
自分の父親が多摩ニュータウンの開発に関わっていたというのもあって、自分の中で今結構悩んでるのは、多摩ニュータウン自体は緑とか山とかも大事にしているけれども、あくまで僕らが住んでるところは、前は山だった場所を切り崩してできたというのがあるから、(多摩ニュータウンマンは)宅地開発みたいなものに対してただの全肯定マンではない。
とりあえずそこに関しては冷静な目で見て、これからより良い地球のためにどうすればいいのかというのもちゃんと考えていくべきだなっていうか。
目を背けない方が僕は多摩ニュータウンマンのスタイルとしてはいいと思っているけど、じゃあどうやって表現していくかっていうのは悩みどころではあります。いい街になればいいな、と思っています
「多摩ニュータウン」っていっても老朽化もしてきてるし、高齢化が進んでるし、でもその孫とかが家族を連れて多摩ニュータウンに住むっていうのは結構増えているので、より住みやすい場所になるように協力できればと思いますね。
個人としての夢
奥山
楽しく過ごしてればいいかな。楽しく過ごしきれるようになりたいですね。今この状況を楽しみ尽くせる人間になりたいです。未来の不安とかもあるけど、例えば褒めてもらえたりとか、自分の頑張りが認められるような賞をもらったりとか、そういうのをもらえたりしたら嬉しいけど、それはそれとして、普通に人生を楽しめる人間でありたい。そういう人間になるためにはどうしたらいいかって考えると、川のせせらぎ、空の広さ。風の気持ちよさを感じ尽くせる人間になりたいですね。ご飯がおいしいとか猫が可愛いとか。
あとは僕自身が地元のことをもっとよく知りたいです。たとえば僕の地元に「長池伝説」っていうのがあるんですけど、それを講談にしていろんな人に聞いてもらって、最終的には何か演劇の形にしたいと思って始めたら、僕の中で学びや発見があったりして。日野市平和事業で呼ばれてやったりした後に、今度は南大沢でもやることができて、この間は鬼怒ケ丘や後浅川の自治会館でもできたんです。それでこの間ようやく長池公園の中でやることができて、最近は母校で「地域を知ろう」っていうイベントがあって、そこに呼んでもらうこともできました。作品も僕が1人で作ったわけじゃなくて、もともとその地元の話とかを本にされてる方がいて、それをもとに僕が講談の形に脚色しただけなんです。
元々はぱちぱちで始めた企画が、ぱちぱちの活動外でも続けられています。
齊藤
おおお〜!ぱちぱちの活用方法として理想的!
初期メンバーのいつきたちは、今後18歳から25歳の枠組みじゃなくなってくるから、これからもどんどん先頭で走り続けていってください!
奥山
18歳〜25歳の枠組みを超えるのやだな〜。僕はいつまでも保護されていたいです。朱鷺みたいに育てられたい。
齊藤
(笑)

奥山樹生さん、ありがとうございました!
そして、インタビュー自体は2024年6月に行われたのですが、2025年1月、いつきが佐藤佐吉賞2024最優秀主演俳優賞を受賞しました!有言実行カッコいい!本当におめでとう!
佐藤佐吉賞
花まる学習会王子小劇場で年間上演されたすべての公演を対象に、優れた作品・戯曲・演出・舞台美術・照明・音響・衣装・宣伝美術・主演男優/女優・助演男優/女優の各部門を表彰するものです。
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