【1/13更新】つながる演劇公演日誌|屋根裏ハイツ『すみつくす』2023/11/28~12/25

Photo by 本藤太郎

つながる演劇公演日誌とは

18歳~25歳のユース世代が、稽古と公演を拝見して、
その次の執筆者に向けて書く「往復書簡のような日誌」です。

「みんなで見る」「創り手と繋がる」「体験を共有する」
演劇ネットワークぱちぱちプレゼンツの観劇体験【観劇ツアー】の企画のひとつです。

このページは、劇団 屋根裏ハイツ『すみつくす』2023/12/14~25 こまばアゴラ劇場 の、「つながる演劇公演日誌」です。

<テーマ>

・稽古場、公演本番で発見した「屋根裏ハイツにとっての演劇の面白さって?」

・稽古場、公演本番で感じた「興味深いこと、あれこれ」

屋根裏ハイツ第八階公演『すみつくす』公演詳細はこちら (屋根裏ハイツWebサイト)

屋根裏ハイツとは

2013年、仙台を拠点に設立。2018年より東京・横浜・仙台を行き来しながら制作をつづける。現在メンバーは中村大地、村岡佳奈、渡邉時生。少数のメンバーで話し合い、人が生き抜くために必要な“役立つ演劇”を創出することを目的とする。 主宰の中村は『ここは出口ではない』(2018)で、第2回人間座「田畑実戯曲賞」、「利賀演劇人コンクール2019」で優秀演出家賞一席、観客賞をそれぞれ受賞。 過去も未来も、生者も死者もいつの間にかゆるやかに共存する、何気ない会話劇のような「語りの劇」を特徴とする。最終的には家を建てたい。

屋根裏ハイツのホームページはこちら

屋根裏ハイツは、2023年度~2024年度の「ぱちぱちフレンズ」(協働団体)です。中村大地さんには、ぱちぱち版ツアー型演劇『むかしむかし、あるお家に』シリーズの構成・演出としてもお世話になっています。

『すみつくす』つながる演劇公演日誌・執筆者

伊藤優花(ゆうか)
25歳。演劇ネットワークぱちぱち広報チーフ。時々役者、当日運営。演劇ソムリエになりたい。

関口真生(まおすけ)
早稲田大学3年。早稲田小劇場どらま館の学生スタッフ。演劇サークルでは演出や出演をする。

新妻野々香(ののし)
早稲田大学2年。制作者を目指して、技術を身に着けるために学校外での現場経験を積む。

寺原航苹(てらくん)
25歳。小屋+kop主宰。日芸演劇学科演出コース卒業。ワイ・プランニング所属。


11月28日(火)稽古|伊藤優花

途中からの参加だったため、私が稽古場に到着した時に稽古しているのは誰が何をしているどのシーンなのか分からないまま、稽古が進むのを見ていました。

もちろん、質問すれば座組の方々は答えてくれたのでしょうが、それは無粋だと思ったし、そんなことをせずただ眺めているだけでも、言葉や所作の端々から状況や登場人物同士の関係性はだんだん明らかになるだろうと思ったので、敢えて静観していました。

前情報を一切入れずにその場を純粋に見続けました。

すると、やはり予想は当たっていて、薄い層を絶え間なく丁寧に積み重ねるようにして「普遍的な、しかし当人(たち)にとっては重要なこと」が紡がれているさまこそが見所でした。

作品の内容の印象はそんなところですが、せっかくなので稽古場そのものの様子も記録しておきます。

「この稽古場では何を大切にしているのか」ということに焦点を当てるとすると、「対等であること」かなと思いました。

シーンを創っていくにあたって、演出の大地さんが中心となって「ここはこうしてみよう」という風に調整していくのですが、それに対して、俳優たちも「そうすると自然じゃないかも」とか、「こうしてみるともっと良いのではないか?」というように、意見を出し合います。

誰かの一存ではなく、皆が納得できるように意見を言語化して相互にコミュニケーションを取る姿勢に、対等であることを大切にしている現場だと思いました。


11月30日(木)稽古|伊藤優花

2回目の稽古場見学では、通しを観ることができました。
全貌が明らかになり、前回の稽古でやっていたこのシーンはこういうことを示唆していたのか…!と分かりほくそ笑みました。

この日に印象的だったことをひとつ。

関彩葉さんが、通しが始まる前に「今回は(以前上手くいったのを)なぞった方がいいですか?それとも冒険した方がいいですか?」という旨の質問を投げかけると、佐藤駿さんが、「絶対こうがいい、というのを発見するためにも、決めずにやってみる方がいいんじゃないか」という旨の提案をしたのです。

私はこの様子を見て、こういう声が自然発生的に出て、どんどん試していける稽古場は良いな、と思いました。

見学している側としても、模索中のその場限りの質感を感じたり、台詞が入り切っていないことで「生っぽい」リアクションが見えたりして、これが本番になるとどう舞台に載るのだろう、と期待が高まりました。

また、通しを最後まで観て、戯曲に散りばめられた要素が収束して、作品の真髄が見えてくるのにカタルシスを覚えました。
この作品を観て、思い出す景色や感覚は人それぞれなんだろうなと思います。そのそれぞれの感覚を言語化し共有し合うことで、観劇している時間だけではなくその後も作品を味わい尽くすことができればいいな、と思います。

次の稽古場日誌はどんなことを書いてくれるんだろう。楽しみです。


12月14日(木)公演初日|関口真生

(一緒の回に観劇した)ののしへ


急だったけどこの日ご飯付き合ってくれてありがと。オムライス美味しかったね。
ののしのこまばアゴラ劇場デビューに同席できて良かった(笑)


早速内容のことなんだけど、帰り道に話した通り私は会話に違和感を感じた。

普段喋る時は盛り上がって大きい声を出したり早口で喋ったりするのに、そういうのが全くなく一定の声量より上は絶対言わない。青年団系のワークショップを受けた時に「素読み」というのを習ったのを思い出した。

それはセリフのニュアンスを全部削いで、真っ白にして読んでみるっていう稽古のやり方。そういう稽古の仕方をしているのではと想像したけど、ゆうかさんの稽古場レポを読む感じなさそうなんだよね。

私は『すみつくす』は会話劇っていうより、客に見られているという非日常の中であたかも日常らしく振る舞う奇妙さを「会話劇の標本」と感じた。特に西村/達生役の福田健人さんの演技は、老いた人独特の時間のゆっくり流れる感じとこの劇全体の会話の奇妙さと相まって怖かった。


劇全体で大きなドラマは起こらず(強いて言えば操の死のよる家の行方くらい)、観客は役の日常の姿を見続けることになる。料理を食べ始めたシーンくらいから、役者の美味しいな、楽しいなっていう気持ちを観客に見せてるように思えてきた。

劇場で観客は飲み食いもできないしくつろぐこともできないし、それを承知で観に来ているんだけど、なんか舞台の上でくつろぐ出演者とそれを背筋を伸ばして観ている観客っていう構造が奇妙だった。

私もご飯を食べる演劇に出演したことあって、舞台上の食事はめっちゃ楽しいんよ(笑)それが分かるからこんなこと思うのかな?うーん。


私の感想は総じて「奇妙だった」に尽きる。

私が触れられなかった舞台美術や字幕のことなど、なんとか上手くまとめてほしいです、ののし!(笑)

まおすけより


12月14日(木)公演初日|新妻野々香

(一緒に観劇した)まおすけさんへ!

今日はありがとうございました。
オムライス屋は内装がどちゃくそ好みでしたねぇ〜細部まで凝られててワクワクした〜。


こまばアゴラ劇場には意外にもまだ行ったことがなく、閉館発表直後というナイスタイミングに滑り込みセーフでした。


アゴラという閉館が決まった建物で上演する、売りに出され自分の手元から失くなる家の話ということで、いくらかシンクロする部分があったように思う。アゴラ自体は私は初めて行ったしすごく綺麗な(垢のないような)印象を受けたので、私の中ではバックグラウンドが重なるとまでは行かないまでも、そういった場所への思い入れや積み重ねた歴史の影などが、たとえ想像でも呼び起こされ、物語とはまたルーツの異なる感傷やイメージが生まれた。


近くを通る電車の音も劇世界の効果音の一つに感じられて。そのシェアハウスに生活感というか、自然と外部環境の影響で、曖昧だった内部(家の情景)がより色付けされていった感じがした。


今回は日本語字幕付きの回だったのだが、舞台奥上部に吊るされた白いスクリーンに台本が映し出されていくという形式だった。台詞だけでなく役名や時代の説明なども投影されていた。上演中、見た目(服装など)の変化や声色で役を演じ分けるということをしないで、すーっと時代が交錯していく構成に、始め、私は驚いた。

そういった誤解/困惑しかねない部分も字幕によって正しい認識へ導いてもらえたのは、ひとつ利点だったように思う。でもどうしても目が字幕を追ってしまう。字幕なしで観たときの自分の中での気付き、感情の変化の瞬間の快感のことを思うと、少しもったいなさもあり…。


美術については、食卓におけるものがリアルだったなぁ、と。テーブルや椅子はラップのようなテープで巻かれていて、家がもうすぐ売られてゆくんだなぁと暗示させる。でもその一方で台所の家具家電は普通に使用可能な状態だった。冷蔵庫から取り出すビールや炊飯器ピラフなど、本物の飲食物は、奇妙に思える日常会話の場の中心に置かれ、各々が摂取していくそれらは、そこで紡がれる言動に普段らしさを補強し、見て聞いて嗅いだ情報としてリアルな質感を伴わせ観客のもとまで届く。


シェアハウスという間柄や劇場という小屋の中で、その場を共有しているということを再確認させられたなぁ、と。

感想の箇条書きを無理やり文章にした感が拭えなくて、読みにくいかもしれないけど…なんとか自分なりに上手くまとめてみました!

ののしでした〜


12月20日(水)7ステージ目|伊藤優花

稽古場を見学させていただいてから約3週間後、本番を観にこまばアゴラ劇場へ。

第一印象としては、稽古場でのことと本番の舞台上でのことは全く別物だということを改めて実感しました。

照明や舞台セットが変わるから、ということももちろんありますが、一番は観客の存在によるものが大きいと思います。

まおちゃんが言及してくれた、「舞台の上でくつろぐ出演者とそれを背筋を伸ばして観ている観客という構図の奇妙さ」がそれにあたるのですが、

たしかに、観客不在の稽古場で行われる演技上での寛ぎと、不特定多数の観客が席に並んでいる状態という、より社会性を帯びた空間で繰り広げられるそれは別の性質になっているような気がしました。

役者のリラックス度合いも違うだろうし、劇場では観客同士の緊張感もあります。

スマホの音や光が出てはいけない、身動きにかなり制限がある、ある程度張り詰めた客席の空気感は、舞台上でのスーパーナチュラルな世界観と同一空間にあることは言われてみればアンバランスで。

個人的には、稽古場で観たときの方が純粋に作品の本質を見つめていられた気がするのですが、逆説的に、本番では「観客でいること」に意識が向いた観劇体験だったように思います。

また、野々香さんが日本語字幕付きの回だったことについて言及してくれていて、多分私が観たのとは全く異なる雰囲気の空間だったんだろうなと思いました。その感覚を書き留めてくれているのはありがたいです。自分がそこにいなくても少しその片鱗を味わうことができた気がしました。

アゴラ閉館が発表されたことで、作品のシェアハウスの解散前の哀愁のある感じが増幅されたのは幸か不幸か。どちらの面もあるとは思いますが、どちらにせよ、あくまでも「いま」「ここ」での営みである演劇というものの運命を感じました。

次は同じ回を観に行ったてらくんです。

観劇終わりに当日パンフレットを片手に喋ったけど、文章ではどんなことを書いてくれるのか、楽しみです。


12月20日(水)7ステージ目|寺原航苹

まおちゃんや伊藤さんの言う、「俳優と観客の居方のギャップ」は私はあんまり感じなかったかな〜。

ああいう風に舞台にいるって、私にはできない…笑 恐ろしく繊細な神経の張り方しないとただ緊張感の足りない俳優本人が見えるだけで個々のシーンが物語全体に対して機能しなくなっちゃうから。でもそうは感じなかった。


新妻さんが言及していた、ラップのようなテープに巻かれた家具、私あれ良いなと思った!

家具といっても塗装とかしてあるわけじゃなく材木の色が見えているから、ラップを巻かないとよくある箱馬使っての見立て(ただの記号的説明)になってしまっていたと思う。だけどそこにラップが巻いてあることで、「これから取り壊される家」をしっかり説明しながも、つまり見立てとして機能しながらも、ラップによる光の反射やラップのしわがリアルにそこに存在する「ブツ」を感じさせていた気がします。

そういうところからも、今回の創作で中村さんが大事にしたいと思っていること・闘っていたものは、「これは演劇でありツクリゴトである。が、いかに自然にシェアハウス(に集う人々)が「〈最期〉のパーティー」という(思い入れある)時間を過ごすか、という駆け引き」だったと思った。

みんなが言っていないところで言うと、音響、今回ではおりんの音がすごく印象的だった。舞台上におりんはなく無対象演技だったけど、実際におりんを鳴らした時に聴こえる以上の時間鳴っていたんじゃないかな。

いや、実際におりんの音が完全に消えるまでの時間って確かにあれくらい長く感じるか……? ってくらい、私にはあの音が演出的作為ではなく、生活の中の死の存在? 存在の死? が聴こえました。


思い出したのが、以前STスポットで拝見した『父の死と夜ノ森』(屋根裏ハイツ第7階公演)のエアコンの音。事前に録音した実際に劇場内で使われているエアコンの音を、あるシーンの劇性の高まりに合わせ観客に気づかれないようにレベルを上げていき、そのシーンが終わる瞬間ふと通常レベルに落とすといった、観客があとになって「あっ、今騙されてた」と気づくような、そういう手つきを今回のおりんにも感じた。

また照明では、最後のシーンの、朝が来る青白んだ照明もきれいでした。「朝の陽光」という、観客がそれと理解しながら観ていて自然と納得できるような、ブラックボックスの劇場で調光できる色としてはすごくふさわしい色。


リアルの白んだ朝の陽光はあんなに青くない(夜の空色というなんとも形容し難い色が朝に変わる時はもう少し紫っぽい色に白を混ぜたような色になると記憶してます…私だけかな苦笑)けど、リアルの色を劇場でやってしまうとかえって説明的過ぎてそれまで俳優の方々が立ち上げた関係性=「シェアハウス」を壊してしまうので、「“観客が一番納得できるリアル”=リアリティー」あるものにデフォルメしなければいけない(ホント「リアルとは何か」って演劇やる上で最大級の難問ですよね……)ということが演劇では度々起こるけれども、あの朝の陽光はそうした人間心理のひだを繊細にかいくぐった色だったなあ。

***

個人的な感想を言うと、小さい頃よく行った、祖母が今ひとりで暮らしている留萌(北海道)の家を思い出して懐かしくなりました。

留萌は田舎ですし私が小さい頃はコロナのコの字もなかったので、ご近所さんや親類などの集まりが多く、ちょうど今作の登場人物らの関係性と近いものがありました。今85歳の祖母が亡くなったら誰も住まなくなるだろう家、仏間の長押の上に居並ぶじいちゃんばあちゃんたち。小さい頃よく将棋を指した祖父もそこに並んでいます。線香の匂いと畳の匂いが混じった仏間独特の匂い。


今作は生と死の対比がわかりやすくありました。すでに亡くなっている宮地達夫さんと町田の子ども。夕方から朝にかけてという時間設定。


一般的に「夜明け」みたいなものは希望的に描かれることが多いですが『言の葉の庭』(新海誠監督のアニメ映画)のラストなんかわかりやすいでしょうか。ああいうのを見ると「なーにをロマン主義なんて人間性のひとつでしかないものを、どーしてそんなに価値化するかね」とか思っちゃうひねくれ者の私には、)今作が迎えた、希望とか絶望とかそんなシャラくさい意味付け抜きの「朝」は、とても静かで良かったです。


1月16日(火)22時15分~スペース開催!


『すみつくす』を観たぱちぱちメンバーと屋根裏ハイツのみなさんが、観劇の感想を語り合い、意見交換します。
タイトル「演劇って何だろう? 〜屋根裏ハイツ『すみつくす』感想・意見交流を通して考える〜」

開催日:2024年1月16日(火)
開場(雑談タイム):22時15分~ / 本編開始:22時30分~

会場はぱちぱちのXアカウント
https://twitter.com/tn_pachipachi

アーカイブもあります。ぜひお聴きください!


演劇ネットワークぱちぱちに参加しませんか?

演劇ネットワークぱちぱちの参加方法は2つ。

18歳~25歳の演劇を続けたい思いのある方は、メンバーとして参加できます。メンバーになるにはこちら

「演劇を続けるための環境作り」に共感する方は、スポンサーとして参加できます。スポンサーになるにはこちら

お問い合わせは以下からいつでもどうぞ!運営の一般社団法人AsoVoスタッフがお返事いたします。

公式LINE:https://lin.ee/UURRw2mj

※LINEで友だちを追加し、メッセージを送信してください。

network.pachipachi※gmail.com (※をアットマークに変えてください)